[関東]父は阪神、中日で活躍した名内野手…駒澤大MF久慈勇仁「悔いのないように終わりたい」サッカーキャリア完全燃焼を誓う

駒澤大のMF久慈勇仁
「何で野球じゃないの?」

 これまで何度聞かれただろうか。初めましてのあいさつの次には、必ず聞かれた質問かもしれない。「あまり僕はプレッシャーに感じることはなかったけど、それでもやっぱり周りからは言われました。正直、鬱陶しいなと思いながらやっていたこともあります。全然慣れたんですけどね」。久慈勇仁(4年=野洲高)はそう言って一笑に付した。

 二世アスリート。フィルターを通してみられることは、もはや宿命と言ってもいい。そしてJリーグができて30年余り。毎年のように二世Jリーガーが誕生しているが、野球選手を父親に持つ選手も少なくない。有名どころでは高木俊幸(千葉)、高木善朗(新潟)、高木大輔(琉球)の3兄弟の父親は、元プロ野球選手の高木豊氏。日本代表MF旗手怜央(セルティック)の父親の旗手浩二氏も、PL学園時代に桑田真澄氏や清原和博氏の1学年上で活躍した選手として話題に上がる。

 久慈の父親・照嘉さんは元プロ野球選手。1991年のドラフト2位で阪神タイガースに入団。その後中日ドラゴンズでもプレーした堅守の名内野手だった。ちなみに2人兄妹で、妹の愛さんは23年度の第95回記念選抜高等学校野球大会で応援イメージキャラクターを務めたことで知られる新鋭女優だ。

 勇仁は父親が中日から阪神に復帰する直前の2002年9月に生まれた。照嘉さんは勇仁が3歳の時に現役を引退したため、父親がプレーしている記憶は残念ながら残っていないが、当時阪神に所属した選手の子供たちとは家族ぐるみで交流があったことから今でも仲がいいという。

 小さいころはいろんなスポーツにチャレンジさせてもらった。「野球やサッカー、ゴルフもやったりしました。最初は野球がやりたかったんですけど、父に『肩を怪我するから、やるなら小学校4年生くらいからでいいんじゃない?』『今は走っておけばいいよ』と言われて。それでサッカーをやっていたんですけど、いざ野球をやるかと聞かれたときに、坊主が嫌で。『坊主にしないとあかんの?』と聞いたら、『しないといけない』と言われたので、じゃあサッカーをやると(笑)。それでサッカーを続けることにしました」。

 西宮サッカースクール、ヴィッセル神戸伊丹U-15、そして滋賀県の強豪校である野洲高校に進学。足の速さを生かしたサイドプレーヤーとして主力を務めた。そして大学はよりレベルの高い関東1部でのサッカーを志望して、駒澤大にやってきた。一般生としての入部で、なかなかトップチームの試合に絡むことができなかったが、3年生の6月に関東リーグデビュー。そして副キャプテンを務める大学最後のシーズンは、4月27日の日本大戦で初先発も経験した。

 初先発した試合は照嘉さんが観戦に来てくれていたという。「お父さんもサッカーが好きなんです。何なら僕に野球じゃなくてサッカーをやってほしかったって感じなので。去年も社会人の関東リーグの試合に来てくれて。今年はいとこ家族と一緒に見に来てくれました」。同試合は大学リーグで最長の62分間出場した試合になった。

 しかし今年は怪我に苦しめられた年でもあった。そして将来を考える年。「内定を頂いてるので、サッカーは大学までという風に思ってます。熱量的なところがもう続く気がしないというのが正直なところ。高いレベルに身を置きたいという思いは今でもありますが、置けるか置けないかは別。そこで仕事をしながら社会人でやるまでの熱が自分にあるかって言われるとないのかなっていう風に思いました」。来春からは不動産仲介の会社に入社するという。

 “引退試合”を華やかに。サッカー人生を少しでも伸ばすためにも、年末の大学選手権(インカレ)に出場したい思いを強くしている。現在降格圏の11位と苦しい戦いが続くが、最後まで諦めずに戦いたいところだ。「今年のチームを立ち上げる時に、学年で話し合って副キャプテンになった。(選手としては)全然貢献できていないけど、悔いのないように終わりたいなと思います」。最後に未練を残さないように、全力で大好きなサッカーと向き合うつもりでいる。

(取材・文 児玉幸洋)


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Source: 大学高校サッカー

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