県内二冠を懸けた前橋育英との100分間は「もう楽しすぎた!」。共愛学園DF天田諒大が決勝の試合後に浮かべた涙と笑顔

共愛学園高の最終ラインを支えるセンターバック、DF天田諒大(3年=PALAISTRA U-15出身)
[11.9 選手権群馬県予選決勝 共愛学園高 0-3(延長) 前橋育英高 アースケア敷島サッカー・ラグビー場]

 それはもちろんこの試合に勝って冬も全国大会に行きたかったけれど、不思議なぐらい後悔はない。だって、こんなにも最高の仲間たちと、こんなにも最高のステージで、最後の最後までひたすらボールを追い掛けられたのだから。

「凄い応援の中で試合をやれて、もうインターハイの全国大会より楽しかったです。延長に入って、まだ0-0の時も、たぶん自分はメッチャ笑っていたと思うんですよ。もう楽しすぎたというか、『守るか、守らないか』より『楽しい!』が勝っていました。本当に最高でした」。

 インターハイ予選に続く県内二冠を目指した共愛学園高の闘争心あふれるセンターバック。DF天田諒大(3年=PALAISTRA U-15出身)はようやく立ったファイナルの舞台を存分に楽しんで、激闘を繰り広げたピッチを堂々と去っていった。

 6月。共愛学園の選手たちは歓喜に沸いていた。福島行きを懸けたインターハイ群馬県予選。準決勝で絶対王者の前橋育英高をPK戦で倒した彼らは、決勝でも常磐高を5-1で下して、同校初となる全国大会の出場権を獲得する。

 表彰式が終わった後のこと。「オレたちも写真撮ってください!」と2人の選手が近づいてくる。彼らは準決勝で前橋育英撃破に貢献しながら、その試合で大会2枚目のイエローカードを提示され、決勝は出場停止となっていた主力の2人。中盤のキーマン・MF村山優成(3年)とディフェンスラインのキーマン・天田だった。とりわけ後者はとにかくエネルギッシュ。「全国は必ず活躍します!」と宣言する姿が印象に残った。

インターハイ決勝の試合後。天田(右)と村山がポーズを取る

 7月。迎えたインターハイの初戦。仙台育英高と対峙した一戦は0-1で惜敗し、全国大会での初勝利は叶わなかった。試合後。スタメンフル出場を果たし、最終ラインで奮闘した天田は、少しうつむき加減で取材エリアへやってきた。

「全国に連れていってくれた仲間が、自分が出ることでベンチになったわけで、その子のためにも勝ちたかったんですけど、届きませんでした」。最初は悔しげに言葉を紡いでいたが、話しているうちに少しずつ元気を取り戻していく。その中で口を衝いたのは周囲への感謝の言葉だった。

「もう最高に楽しかったです。応援も凄かったですし、自分は決勝のピッチに立っていないので、初めてこういう舞台に立って、学校関係者の方だったり、先生もいっぱい来てくれていたので、凄くやる気にもなりましたし、絶対に勝ちを届けたかったです。だからこそ、またみんなで自分たちの強みであるチームの一体感を出して、選手権予選でもう1回群馬を獲って、次こそは全国での1勝を目指したいです」。最後は少しだけ笑顔を浮かべて、いわきの地を後にした。

全国のピッチでチームメイトを鼓舞する天田

 迎えた選手権予選は準々決勝からの登場。プリンスリーグ関東所属の健大高崎高に3-2で競り勝つと、準決勝の新島学園高戦も2-0で勝利。共愛学園はインターハイ予選に続いて、群馬ファイナルへと勝ち上がる。

「インターハイの前は本当に勝てない時期が続いていたのに、インターハイに優勝したことで、チームにも凄く自信が付いたかなと思いますし、決勝に出れない選手の分も村山と『みんなをもう1回全国へ連れて行くぞ』と話していました」。天田は確かな決意を携えて、決戦のピッチへ駆け出していく。

「育英からも『2回目は負けられない』という本気の想いは感じました」と天田が話したように、試合は立ち上がりから前橋育英が猛ラッシュ。最終ラインからボールを動かしながら、細かいコンビネーションと個人技を織り交ぜて、次々とチャンスを創出。共愛学園はキャプテンのDF阿久津祐樹(3年)と天田のセンターバックコンビを中心に身体を張りつつ、最後は守護神のGK佐藤明珠(3年)のファインセーブやクロスバーにも助けられ、前半は何とか無失点で凌ぎ切る。

「後ろは粘れるなというのもあったので、耐えるのはキツかったですけど、耐えて、耐えて、1本のチャンスをものにしようとみんなで話していました」。そう話した天田に絶好の決定機が巡ってきたのは後半15分。左から村山が蹴り込んだFKをファーでDF小山桜我(2年)が折り返し、MF清水陽太(3年)が放ったヘディングは天田の目の前に飛んでくる。

「『あ、来た!』と思って、ちょっとコースを変えるフリックみたいな形で触りました」。しかし、頭で軌道を変えたボールはクロスバーにヒット。「アレはマジで決めたかったですね」。この試合で初めて共愛学園に訪れた決定的なチャンスだったが、先制には至らない。

 所定の80分間を終えてもスコアは動かず。勝敗は前後半10分ずつの延長戦にもつれ込んだが、もう共愛学園にタイガー軍団の攻撃力を防ぐだけの力は残っていなかった。「メチャメチャ良い雰囲気で後半も終われて、『これはあるぞ』と、『もう1回締め直して戦おう』とみんなで言っていたんですけど、最後まで粘れなかったですね。育英はメチャメチャ強かったです」(天田)

 延長前半6分に先制点を献上すると、さらに2点を追加され、ファイナルスコアは0-3。「インターハイの時の延長はチャンスもあったので、『本当に行けるな』という気持ちもあったんですけど、育英が夏からやってきたことが自分たちより上だったなと思いますし、自分たちももう1回県を制覇する気持ちはあったんですけど、その想いは育英の方が強かったのかなと思います」とは天田。共愛学園が抱いてきた県内二冠の夢は、最後の最後で叶わなかった。

「今年の3年生は本当に頑張る代で、新チームが始まった時から奈良(章弘)先生からは『全国に行ける』と言われていたので、トレーニングも一切手を抜かずに、朝練も筋トレも今まで以上にやってきましたし、『これぐらいやれば育英とも戦えるんだな』というのが証明できた代だったと思います」(天田)。

 仲間と一緒に厳しい練習に取り組んできた3年間は、とにかく誇りに思っているし、とにかく楽しかった。表彰式で整列していると、いろいろなことが頭の中によみがえってくる。「みんなを全国に連れていけなくて、本当に申し訳ない想いでいっぱいでした」。こみあげてくるものを抑え切れず、流れそうになる涙を、右手でそっと拭いた。

 決勝でもその競り合いの強さと高さは際立っていたが、もともと空中戦は強くなかったという。転機は夏の全国大会出場を決めたことで、コーチからもらったアドバイスだ。「『全国大会ではヘディングで絶対に負けないぐらい練習しろ』と言われて、練習後もキーパーにロングキックを蹴ってもらって、ずっとそれを跳ね返したりしていました」。地道に、まじめに、トレーニングを重ねたことで、今ではヘディングも自身のストロングにまで進化した。

 高校卒業後は関東の大学へと進学予定。「自分はスピードがウィークポイントだと思っていて、大学でもスタメンで出るにはもっとスピードを身に付けないと、大学の速さに付いていけないので、そこのところでもうちょっと力を付けたいと思います」。新たなステージでも自身のストロングとウィークを見つめ、さらなる成長を続けていく。最後は少しだけ笑顔を浮かべて、天田はスタジアムを後にした。

 それはもちろんこの試合に勝って冬も全国大会に行きたかったけれど、不思議なぐらい後悔はない。だって、こんなにも最高の仲間たちと、こんなにも最高のステージで、最後の最後までひたすらボールを追い掛けられたのだから。

 初めての全国大会出場を掴み、新たな歴史の扉をこじ開けた2024年の共愛学園を、逞しく支えた屈強なセンターバック。天田諒大の努力を重ねた3年間に、最大限の大きな拍手を。

(取材・文 土屋雅史)


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Source: 大学高校サッカー

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