今年9月に来季、横浜F・マリノスのトップチーム昇格が発表された横浜F・マリノスユース所属のMF望月耕平(3年)。小学生のころから横浜F・マリノスのアカデミーで育ち、一つの目標だったトップ昇格を叶えた望月。「F・マリノスにすべてを捧げて、F・マリノスを勝たせられるような選手になりたい」と誓う18歳の素顔に迫った。
――改めて来季からJリーガーになることに対する率直な想いはいかがでしょうか?
「小学生のころからF・マリノスでプレーさせてもらってきて、そのころから両親とも将来はプロ一択という考え方をしてきたので、率直にとにかく嬉しいです」
――昇格はどういうシチュエーションで伝えられたのですか?
「シーズン中に面談が2回あって、1回目はクラブも『まだ考えています』というような感じだったんですけど、2回目の面談の時に教えていただきました。その時は久々にドキドキしました。『クラブとしてプロで頑張ってもらいたい』と言われたので、『断る理由はありません』と答えました」
――ご家族も喜んでくれたのではないですか?
「そうですね。母親は発表を緊張して待っていたみたいなので、それを伝えた時は喜んでくれました。小学生のころからずっと食事も管理してもらってきましたし、いろいろな形でサポートしてもらってきたので、とりあえず良い形で報告ができて良かったなと思います」
――今季はシーズン前にトップチームのキャンプにも参加されていましたが、その時の手応えはいかがでしたか?
「まだそこまでチームに慣れていなかったですし、短い期間でキャンプの途中まで参加ということで、最初は難しいところもありましたけど、その中でもいろいろな選手が声を掛けてくれて、一緒に食事もする中で少しずつ緊張がほぐれていきましたし、どういう感じでやっていけばいいのかという大まかな想定はできていったので、そこはありがたかったなと思います」
――プレー面で通用したのはどういうところでしたか?
「やはり体格やパワフルさという面ではまだまだ全然劣っているなということは見えたんですけど、技術的な部分だったり、相手と1対1で対峙した時の距離感は良い感じにできたかなと思います」
――特にどの選手が優しかったですか?
「山根陸くんだったり、榊原彗悟くんとか寺門陸くんは食事の時に話しかけてくれて、それで安心できました。アカデミー出身の先輩には特に優しくしてもらっています(笑)」
――プレー面で影響を受けたり、印象に残っている選手はいましたか?
「メンタル面では、やはりアカデミー出身の先輩の喜田(拓也)くんと(水沼)宏太くんは熱血的な指導もしてくださるので、お世話になっています(笑)。技術的な面で言うと、(天野)純くんは最初に練習参加させてもらった時から『ちょっとレベルが違うな』と思いました。思わず見とれてしまうぐらい上手いです。あとはヤン・マテウス選手とアンデルソン・ロペス選手はさすがのレベルでした。でも、純くんのポジションは自分も狙いたいところなので、奪える機会があればどんどんポジションを狙っていきたいと思います」
――喜田選手や水沼選手からはどういう言葉を掛けられるのですか?
「練習中にとにかく話しかけてくれますし、自分から聞きに行った時も深いところまで全部教えてくれます。自分がちょっと気持ちの入っていないミスをしてしまった時だったら、宏太くんは『それはあり得ない』とはっきり言ってくれて、気付かせてくれるので、そういうところは良い刺激になっています。あの2人はプロサッカー選手の立場というものを練習中でも教えてくれるようなイメージです。自分にとっても後になってそれが足りないということになってしまうよりは、気付いた時に指摘してもらえた方が嬉しいです」
――自身のプレーの特徴、アピールポイントはどう捉えていますか?
「どのポジションでもできるというのも1つの特徴なんですけど、実は高校1年生から2年生に掛けて、ちょっと個人的に迷走している部分があって、1つずば抜けている部分がないとダメだなと思っていたので、今は中盤の1個前ぐらいのあたりで決定的な仕事をするというところを特徴にしたいと考えています。具体的にはペナルティエリア内でのちょっとした横パスでも、そのワンタッチがゴールに繋がるようなプレーを伸ばそうと思っています」
――確かにポジションもいろいろなところができますよね。
「はい。いろいろなポジションをやってきましたけど、今のトップチームで言うと純くんとか(植中)朝日くん、(西村)拓真くんがやっているトップ下の位置がやりたいポジションです」
――プレー面で自分の武器だと捉えているのはどういうところでしょうか?
「ゴール前の嗅覚です。ボールがどこにこぼれてくるかを感じる力や、ゴール前であればどこからでもゴールが狙えるところも武器だと思います」
――それこそ最初のF・マリノスとの接点はどこになるんですか?
「小机のグラウンドで『スペシャルクラス』というクラスがあって、そこに小学校5年生の時にスカウトしてもらいました。僕がプレーしていたのは湘南ルベントSCという鎌倉市のチームだったので、そこまで横浜市のチームとの接点はなかったんですけど、ちょうどチームの監督の方たちが“ルベントカップ”という大会を開いてくれて、F・マリノス追浜とか横浜や川崎のチームが集まった時に、そこでF・マリノスのスカウトの方が声を掛けてくださいました」
――もともとF・マリノスにはどういうイメージを持っていたのでしょうか?
「小学生のころはそこまで強いイメージはなくて、父が読売クラブに通っていたので、その流れで『読売に行く』という流れを想定していたんですけど、F・マリノスに声を掛けてもらえたので、気持ちが完全に変わりました(笑)」
――ジュニアユース追浜はスクールからの昇格ですか?
「はい。昇格させてもらいました。ジュニアユースは新横浜か追浜の両方の選択肢がある中で、追浜は固定のグラウンドもあって、練習時間もたくさん取れるので、距離的にはどちらもそれほど変わらないんですけど、そういう面でも自分の時間を作りたいと思って、追浜を選びました」
――今はトップチームで指導されている大島秀夫コーチは当時のジュニアユース追浜で指導していましたよね?
「はい。1年生の時には1つ上の代の監督でした。シーズン途中からは飛び級でそちらに参加させてもらっていたので、その時から指導していただいていましたし、最近トップに練習参加した時にも声を掛けてくださいました」
――ジュニアユース追浜での3年間で特に成長できた部分はどういうところですか?
「追浜は練習の時間が十分に取れましたし、練習が終わってからの自主練は1時間ぐらいボールを蹴っていました。奈良さん(奈良安剛監督/現・関東学院大監督)がずっと一緒に自主練に付き合ってくださって、とにかくそこで自分を伸ばす時間を作れたのは大きかったですね。その時はずっとフリーキックの練習をしていて、実際に3年間、試合でもフリーキックを蹴らせていただいていたんですけど、それは印象深いです。奈良さんもあまり見たことのないタイプの上手さでした」
――ユースでは昇格直後からゲームに出ていましたが、特に1年生のシーズンはどういう時間でしたか?
「大熊さん(大熊裕司/現・テゲバジャーロ宮崎監督)が最初から目を付けてくださって、プレミアリーグの開幕戦はメンバーに選ばれなくて悔しかったんですけど、その次の桐生第一戦からアウェイまで連れて行っていただいたので、その試合は特に印象に残っていますし、その時にデビュー戦で点も獲れたので、それは嬉しかったですね」
――1年時のプレミアでは20試合に出場して6ゴールを挙げています。手応えは早いうちから掴んでいましたか?
「かなり先輩とのレベルの差はありました。練習は緊張感もあって、レベルも高かったですし、対戦相手のレベルも高かったので、そういう面では少し遠慮していた部分もあったのですが、そこで得られた経験が今に良い形で繋がっていると思います」
――特に印象に残っている先輩はいますか?
「やっぱり内野くん(内野航太郎/筑波大)と晃助くん(松村晃助/法政大)はかなり印象に残っています。2人ともまったくプレースタイルが違っていて、内野くんは“ザ・ストライカー”というか、考え方も完全にストライカーだったので、それも良い刺激になっていろいろなものを盗めましたし、晃助くんだったらどこでもできるユーティリティさを持ちながら、技術も非常に高くて、そういった面でも刺激をいただきました。その年の練習の雰囲気は凄かったです。今の僕がトップの練習に参加させていただいている時に感じたような雰囲気が、当時のユースにはあったので、そこは驚きました」
――2年生からは10番を任されました。昨シーズンの1年間はどういう年だったでしょうか?
「自分もあまり思うようなプレーは出せなかったですし、チームとしても難しかったかなと思います。『自分がやらないといけない』という気持ちもあったんですけど、とにかく結果が付いてこなかったです」
――U-17ワールドカップのメンバーから落選したことは、どういう経験になっているでしょうか?
「1つの挫折ではありました。実際はあくまでも通過点ですし、ここからより自分が成長すればいいことなので、そこまで大きなこととは捉えていないんですけど、選ばれなかった悔しさもありながら、その一方で代表ではいろいろな経験もさせていただいたので、良い糧になったと思います」
――あの経験でより世界を味わいたい気持ちは強くなりましたか?
「そうですね。海外の代表チームとも試合をさせてもらいましたし、フランス遠征に行った時に対戦したフランス代表の8番だった選手(サイモン・ブアブレ)が、もうモナコで試合に出ていたりしていますし、そういうトップレベルの選手から刺激は受けたので、もう世界と戦わないといけないなという気持ちは強くなっています」
――今年はアカデミーラストイヤーでしたが、どういう1年だったでしょうか?
「トップチームの昇格が懸かった1年だったので、とにかく自分の成長を考えていました。シーズンが始まる前に掲げた目標が、個人ではトップチームに昇格すること、チームではプレミアリーグに昇格することでしたし、とにかくその目標に向かってひたむきに努力するしかなかったので、それは全力を尽くせたかなと思います。ただ、2回ぐらいケガで試合に出られない時期があったので、そこはもったいなかったですね。やはりケガは一番したくないものなので、そこに心残りはあります。あとはトップチームの練習に参加させていただいたこともあって、もう『F・マリノスの一員としてしっかりやらなきゃいけない』という気持ちは、かなりこの1年間で身に付いたと思うので、そういう部分はユースにも還元できたのかなと思います」
――プレミアリーグ復帰を懸けたプレーオフは、2回戦でガンバ大阪ユースに敗れてしまいました。
「悔しかったですね。1回戦の愛媛FCユース戦は相手も強かったですし、プリンスリーグを無敗で優勝したチームなので、『自分たちより格上だ』という気持ちで臨んで、何とか勝つことができました。ガンバ戦もその流れで行けたら良かったのですが、悔しい結果になってしまいました。ユース最後の公式戦で、アカデミーでの集大成でしたし、この昇格に対してすべてを注ぎ込みたかったんですけど、その中で自分の力を良い形で出し切れなかった想いはあります」
――スクールから数えて8年を過ごしたF・マリノスアカデミーでの時間は、改めてどういう時間でしたか?
「この8年間で、もうF・マリノス以外のことは考えられなくなりましたし、その中でF・マリノスに成長させてもらってきた時間でした。本当に充実していたと思います」
――来シーズンのルーキーイヤーは、どういうシーズンになることを思い描いていますか?
「まずは試合に出ることが一番ですけど、その中でゴールが欲しいので、リーグ戦で2得点はしたいなというイメージを持っています」
――もうちょっと行きましょう(笑)。
「確かにもうちょっと行きたいですね(笑)。5得点は行きましょう。『目指せ、5得点』で(笑)。ただ、まずは試合に出るための努力を惜しまずに、練習から頑張りたいです」
――サッカー選手としてここから到達したい目標はどういったものがありますか?
「最終的な目標まではあまり考えていないですね。近い将来に海外でプレーしたい想いはありますけど、まずは目の前のことを全力でやりたいと思っていますし、今はとにかく横浜F・マリノスの選手というプライドを持って戦いたいと思います」
――F・マリノスで成し遂げたいことにはどういうイメージを持っていますか?
「横浜F・マリノスと言えばこの選手だと言われたいですし、そういうところに名前を挙げられるような選手になりたいです」
――最後にファン・サポーターの方々へメッセージをお願いします。
「もう僕にはF・マリノスしかないと思っているので、F・マリノスにすべてを捧げて、ずっと努力し続けて、F・マリノスを勝利に導けるような選手になりたいなと思います。これからも応援よろしくお願いします」
(取材・文 土屋雅史)
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Source: 大学高校サッカー
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