東京のユースサッカーの魅力、注目ポイントや国内外サッカーのトピックなどを紹介するコラム、「SEVENDAYS FOOTBALLDAY」
準々決勝の試合後。“当時のキャプテン”が駆け寄ってきて、あることを教えてくれた。「準決勝に残った4チームに、全部深川のチームメイトが揃いましたよ!」。記憶の糸を手繰り、その面々を思い出すと、すぐに彼らの顔が浮かんできた。
桐蔭横浜大MF笹沼航紀(4年=山梨学院高)、東洋大DF稲村隼翔(4年=前橋育英高/新潟内定)、新潟医療福祉大FW青木友佑(4年=FC東京U-18)、明治大MF常盤亨太(4年=FC東京U-18/FC東京内定)。
中学時代の3年間をともに過ごし、その後はそれぞれの道を逞しく歩んできた、大学4年生の旧友たちによる特別な再会。インカレ準決勝が行われる栃木県グリーンスタジアムには、4人の“FC東京U-15深川OB”が集結していた。
2017年12月28日。高円宮杯 第29回全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会決勝。FC東京U-15深川の選手たちは悔し涙に暮れていた。強敵のサガン鳥栖U-15と繰り広げた激闘は、延長後半にいったんは勝ち越したものの、土壇場で追い付かれた末にPK戦で惜しくも敗れ、日本一にはわずかに届かなかった。
それから3年後の2020年12月30日。第44回日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会決勝。FC東京U-18の選手たちは、再び悔し涙を流していた。因縁の相手・鳥栖U-18との一戦は後半45分に決勝点を奪われ、またも日本一のタイトルは目の前でするりとこぼれ落ちていく。
「終わった瞬間に実感がなくて、笛が鳴った瞬間でも『まだできるんじゃないか』と思って。でも、仲間の顔が見えた時に『自分たちが負けて終わったんだな』という想いで、悔しさがその次に来ました」。そう話すのはU-15深川時代に続いてキャプテンマークを巻いていた常盤。表彰式の際にも常盤と青木は隣に並んでいた。
この一戦をスタンドから見つめていたのが、前橋育英高に進学していた稲村だ。選手権予選では県予選で敗退したため、全国の舞台に立つことは叶わなかったが、U-15深川時代のチームメイトたちの雄姿を一目見ようと、実家には帰らずにそのまま決勝が行われる群馬に残り、最後まで彼らが戦い抜く姿を見届けた。
2021年1月11日。第99回全国高校サッカー選手権大会決勝。笹沼は歓喜に浸っていた。山梨学院高と青森山田高が激突した試合は、お互いに譲らず2-2でPK戦へ突入。山梨学院1人目のキッカーとして笹沼はきっちりPKを成功させると、青森山田の2人目として登場したのはU-15深川時代のチームメイトでもある安斎颯馬(現・FC東京)。そのキックをこちらも中学時代からのチームメイトに当たるGK熊倉匠(現・立正大4年/鹿児島内定)がストップ。笹沼と熊倉は3年前に届かなかった日本一へとたどり着く。
彼らの世代のFC東京U-15深川OBから、高卒でJリーグの道へと進むものは1人もいなかった。すぐ近くにはいなくても、特別な絆を結んだ仲間のことは、誰よりもよくわかっている。それぞれが4年後のプロ入りを目指し、離れた場所で切磋琢磨し合うことを誓って、大学の世界へと飛び込んでいった。
それからまた4年の月日が経過した。彼らにとって大学最後の大会となるインカレ準々決勝の試合後。“当時のキャプテン”を務めていた常盤が駆け寄ってきて、あることを教えてくれた。「準決勝に残った4チームに、全部深川のチームメイトが揃いましたよ!」。記憶の糸を手繰り、その面々を思い出すと、すぐに彼らの顔が浮かんできた。
2024年12月25日。準決勝の第1試合では桐蔭横浜大と東洋大が対峙したが、笹沼はスタンドからチームが負ける瞬間を眺めていた。
「インフルエンザに罹ってしまいました。体調が悪くなったのは準々決勝の大阪学院大学戦の前日で、どうしても試合に出たかったんですけど、チームのことを考えて病院に行ったら、インフルエンザという診断でした。(稲村)隼翔とは連絡を取り合っていて、『準決勝で会おう』という話はしたんですけどね」。
稲村とは中学時代の苦しい時間を共有した間柄だ。「中学時代は僕も隼翔も凄く小さくて、2人ともまったく試合に出られず、1つ下の代の試合に出ることもあって、相当辛い時期を一緒に過ごしたので、ああやって隼翔が活躍してくれるのが僕は凄く嬉しいんですよ」。アルビレックス新潟でルヴァンカップ準優勝に貢献し、一躍注目の人となった彼の躍動を、純粋に応援していたそうだ。
日本一を味わった高校時代と比べても、正直に言って思い描いていたような大学生活は送れなかった。だが、心が折れそうな時には、いつもあのころのチームメイトたちの存在が励みになった。4年間を最後までやり切ったのは、それが一番大きな理由だという。
「それこそ自分が腐り掛けそうな時に(常盤)亨太と試合をやったりとか、隼翔と試合をやったりすることで、かつての仲間たちが活躍する姿を見ることが刺激になりましたし、それこそ熊倉も『オマエが決勝に行くところを見たい』という連絡をくれました」。
第2試合では青木と常盤の対決が控えている。自分が昇格を見送られたU-18でも主力を張った2人に対しても、笹沼は熱い想いを隠さない。「僕は友佑以上に感覚が合うフォワードはいないと今でも思っているので、日本一を目指して頑張ってほしいですけど、やっぱり亨太にもあの時の準優勝の悔しさを覆してほしい気持ちもあります。亨太にも友佑にも頑張ってほしいですね(笑)」
卒業後は関東社会人リーグのチームに進み、サッカーを続けるという。「正直サッカーをやめそうな時もあったんですけど、その時に隼翔が『オマエは人と違うものを持っているからやめないでほしい』と言ってくれて、それも励みになったので、もう1回サッカーと向き合って、自分を見つめ直して、彼らに負けないように頑張りたいです」。
笹沼の未来に幸多からんことを願っている。
稲村はピッチの上で決勝進出の瞬間を喜んでいた。
「航紀に『25日、ピッチで待ってるわ』と連絡したら、『じゃあ看病よろしく』って返ってきました(笑)」。そう笑顔を浮かべながら、試合の中で笹沼との再会が叶わなかった残念な感情が、言葉の端に滲む。
実はこの日の会場に集った4人の中で、稲村だけが中3時の全国決勝で試合に出場していない。つまりはそういう立ち位置だったということ。そこからたゆまぬ努力を重ねてきたことで、大学屈指のセンターバックと呼ばれるまでに成長し、今大会でもここまで圧巻のパフォーマンスを披露し続けてきた。
「中学の時も自分は全国の決勝の舞台に出れずに悔しい想いをして、高校では選手権予選も勝てなかった中で、ここまで一歩ずつ登ってきた感じはありますし、FC東京の人たちが自分の活躍を見たらビックリされると思うんですけど、そういう反骨心みたいなところを忘れずにやってきたからこそ、こういう結果が出ていると思います」。
だからこそ、お互いの成長を真剣勝負の中で実感したかった。「航紀とは凄く仲が良かったですし、中学の3年間での悩み方が一緒だったので、大学に入ってからも2人で『あの時は悔しかったよな』ということを何回も振り返ってきました。お互いにプレーヤーとして凄く成長できた4年間でしたし、そう考えると感慨深いものもあったので、最後は一緒に戦いたかった想いはありますね」。とはいえ、よく知っている関係性だからこそ、不思議と納得している部分もあるそうだ。
「でも、ここでインフルに罹るのも航紀っぽいです(笑)。航紀は誰が見てもわかるようにファンタジスタと言えるようなプレーヤーで、やっぱり試合に出てきたらアイツで攻撃のテンポが決まりますし、嫌なところを突いてくることはずっと感じていましたね」。きっといつかまた、同じピッチで戦う日が来ることを信じている。
第2試合では青木と常盤の対決が控えている。どちらと戦うことになっても、あのころの自分とは違うということを、しっかりと証明した上で日本一になってやる。「深川のころは亨太がキャプテンで、自分は副キャプテンだったので、2人でチームを作っていたつもりでしたし、最後に決勝で戦って勝敗を付けて、またプロのピッチで一緒にやれたらなと思います。友佑は『とんでもないフォワードだな』という印象はずっと変わっていないですし、自分が見てきた中でも一番ぐらいのフォワードなので、マッチアップしたいですし、負ける気も一切ないです」。
来季からは正式にJリーガーとしての日常がスタートする。あるいは想像していた以上の成長を遂げてきたからこそ、自分のルーツとなる時代のことも、しっかりと心の中に刻みながら、東洋大を日本一へと導くべく、最後の1試合へと力強く向かっていく。
「僕は深川の時に素直さや謙虚さを持つことの大切さを言われ続けて、それを大事にしながら、ブレずにどんな時もやり続けてきましたし、それこそ深川の同期や育英の同期に刺激を受けて成長できたと思っているので、関わってくれた人たちに感謝したいなという想いですね。今日も最後に航紀が声を掛けてくれたので、そういう想いも背負って決勝に勝ちたいなと思います」。
新潟医療福祉大と明治大がぶつかり合った第2試合。常盤はベンチからチームが負ける瞬間を眺めていた。
「不思議な感覚だったというか、まだ決勝があるものだと思ってやっていたので、本当に何も考えられなくて……。でも、そこから今日の1試合の勝負に勝てなかった悔しさが出てきましたね」。
U-15深川時代も、U-18時代も、最後の試合で突き付けられたのは全国準優勝。昨年のインカレでは頂点に立ったものの、最終学年での日本一のみを目指してきただけに、決勝を前に敗退を余儀なくされたことへの悔しさが口を衝く。
「明治に来たからこそタイトルの味を知ることができて、去年は一番上の景色を見れたのに、最終学年の4年生としてチームを勝たせる力がないというのが自分の現状で、何が足りなかったのかは見つけられていないですけど、足りないものが確実にあるので、それをずっと考えていますね」。
ここまでの4試合でほぼフル出場を続けてきたこともあって、足には限界が迫っていた。延長後半4分に交代。最後までピッチに立ち続けることは叶わなかったが、一方で自分の中ではすべてを出し尽くせた感覚もあったという。
「最後は交代してPKも蹴っていないですし、得点も獲れなかったので、自分自身に対して『もっとできただろ』という後悔はありますけど、この4年間を振り返ると、終わった時に『全部やり切ったな』という想いは強いです」。
U-15深川からU-18までの6年間をともに過ごした青木は、後半途中からの登場。セットプレーでは常盤が青木のマークに付く場面もあった。「友佑が入ってきたことがメチャメチャ嬉しかったですね。『友佑は頑張っているけど、勝つのはオレたちだよ』と思いながらやっていましたけど、一緒にやれた嬉しさはありつつ、アイツはPKも決めていて、自分よりも仕事をしていたと思うので、その悔しさはありますね」。そう言いながらも、浮かべている表情は実に柔らかい。
わざわざ“4人”が集うことを教えに来てくれたこの人だけに、かつてのチームメイトへの想いは人一倍強い。「ここに深川の仲間が4人も揃って、隼翔が最初に決勝を決めていたので、自分もそこに行ってやろうと思っていたんですけど、友佑は中学の時からずっと自分の先を行っている感じがありますね。決勝では友佑に点を獲ってほしいですし、隼翔は無失点に抑えてほしいですし、もう自分は出ることができないので、どっちも応援します」。
来季からは一足先に加入している安斎を追うように、FC東京に帰還してプロサッカー選手としてのキャリアを歩み出す。
「まずはこの明治に来ていなかったらプロになれていなかったので、そこに対する感謝がある中で、インカレ優勝という結果で恩返しできなかったという、また1つ悔しさを持ってプロの舞台に行きますし、FC東京でプロになりたかったけど、なれなかった仲間もいるわけで、そういうみんなの想いも背負って、自分がFC東京を代表する選手になっていかないといけないなと思っています。正直に言うとまだ切り替えられていないですけど、それでも明日は来るので、これを力に開幕から活躍できるように頑張っていきます」。
常盤の未来に幸多からんことを願っている。
青木はピッチの上で決勝進出の歓喜を噛み締めていた。
「正直メチャクチャ嬉しい想いもありますけど、自分が出てゴールを決められなかった悔しさはあります。2回チャンスがあったので、決めなきゃいけないところだったんですけど、『絶対に決めたい』という想いが強すぎて、ちょっと力んじゃいましたし、空回りしてしまった感じですね」。
PK戦では4人目のキッカーとして冷静なキックを沈めたものの、生粋のストライカーには後半と延長前半に訪れた2度のチャンスを決め切れなかったことへの反省が、強く頭の中に残っていた。
最後のインカレに懸ける想いの強さから、グループリーグで2枚のイエローカードを受け、準々決勝は出場停止。祈るような想いで声援を送っていたという。「もう仲間に託すしかなかったですし、自分はメンバーに入れない分、良いサポートをしてチームに貢献しようと思っていました」。
チームメイトがシビアな試合を勝ち切ったからこそ、巡ってきた準決勝の舞台に立つチャンス。そのことは十分すぎるほどに理解していたこともあり、絶対に自分がゴールを決めてやると意気込んでいただけに、結果に恵まれなかった自分に改めてベクトルを向け直す。
高校時代に大ケガを負った左ヒザは、今も万全とは言い難い。大学でもかつてのようなイメージ通りのプレーが出せず、悔しさを味わうことも決して少なくなかった。「なかなか自分の思い描いた通りの時間ではなくて、本当に苦しい4年間ではありました。上の学年には田中翔太くん(鳥取)も小森飛絢くん(千葉)もいましたし、試合に出る機会が少なかったのと、出てもなかなか活躍することができなくて、凄く悔しかったですね」。
だが、心が折れそうな時には、いつもあのころのチームメイトたちの存在が励みになった。4年間を最後までやり切ったのは、それが一番大きな理由だという。「あの時の深川ってやっぱり良いチームだったなと思いますし、自分も常に他のチームメイトのことは考えてきました。航紀と隼翔はユースに上がれなくて、きっと死に物狂いで高校生活と大学生活を送っていたと思いますし、隼翔がアルビレックスに入ることが決まって、Jリーグでも活躍していることとか、亨太がFC東京に戻ることとか、そういうことにも刺激をもらってきましたね」。
U-15深川時代、U-18時代に続いて、自身の出場はなかったものの、青木は大学に入学してからもチームが2度にわたって全国の決勝で敗れる姿を目の当たりにしてきた。3度目の正直、いや、5度目の正直を引き寄せるべく、ファイナルへの強い想いをこう語ってくれた。
「自分はここまでシルバーコレクターになってしまっているので、今回は絶対に優勝したいと思っていますし、今までこうやってサッカーをやってこれたのも、家族だったり、スタッフだったり、チームメイトのおかげだと思うので、自分がゴールを決めて恩返ししたいなと思っています。決勝で隼翔と当たれるのも本当に幸せなことですし、隼翔が自分より上に行こうとするんだったら、自分もその上を行って、叩き潰せるようなイメージで戦いたいですね」。
笹沼がそっとこんなことを教えてくれた。「ちょうど深川の時に高円宮杯の決勝で負けた日付と、今回のインカレの決勝が同じ日付なんですよ」。みんなで涙を流した西が丘の決勝からちょうど7年後。彼らの中から、必ず日本一に輝く仲間が誕生する。「今回も準決勝に4人残ったように、そういう粘り強さや生命力というか(笑)、あの時の深川のチームメイトはみんなが何かしらを持っているヤツらだと思いますね」。常盤は旧友たちの顔を思い浮かべながら、笑顔でそう言い切った。
みんなが決勝を楽しみに待っている。サッカーで生きていくことを夢見て、いつものグラウンドでともにボールを蹴り合った青春の時間を思い出しながら、きっとみんなが最後の1試合を楽しみに待っている。
稲村の未来に、青木の未来に、そしてFC東京U-15深川・2017年度卒団生全員の未来に、幸多からんことを心から願っている。
■執筆者紹介:
土屋雅史
「群馬県立高崎高3年時にはインターハイで全国ベスト8に入り、大会優秀選手に選出。著書に『蹴球ヒストリア: 「サッカーに魅入られた同志たち」の幸せな来歴』『高校サッカー 新時代を戦う監督たち』
▼関連リンク
SEVENDAYS FOOTBALLDAY by 土屋雅史
●第73回全日本大学選手権(インカレ)特集
Source: 大学高校サッカー
コメント