『SEVENDAYS FOOTBALLDAY』:諦めない(東京国際大・志賀一允)

東京国際大の背番号1、GK志賀一允(4年=柏U-18)
東京のユースサッカーの魅力、注目ポイントや国内外サッカーのトピックなどを紹介するコラム、「SEVENDAYS FOOTBALLDAY」

 誰もいなくなったピッチを、見つめていた。ラインの内側でプレーすることの叶わなかったその場所を、大学の4年間が終わったばかりのその場所を、ラインの外側から、ずっと、ずっと。

「今までの4年間が終わってしまったというところに対するフラッシュバック、ですかね。この4年間は本当にキツいことがたくさんあって、『1年生の時に2試合で9点ぐらい獲られたなあ』とか、『たくさん怒られたなあ』とか、GKコーチの星子(泰斗)さんや先輩たちとたくさん練習してきた日々だったり、あとは最後になってしまった試合で自分がピッチに立てなかった悔しさだったり、いろいろなものが入り混じっていました。やっぱり試合、出たかったですね」。

 東京国際大(関東2)のゴールキーパー陣を持ち前のポジティブさで束ねてきた、エネルギーあふれる22歳。GK志賀一允(4年=柏U-18)の心の中には、言葉なんかでは表現しきれないような、さまざまな感情が浮かんでは消え、消えては浮かんでいた。

 1年の大学サッカーシーズンの最後を飾る全国大会、インカレの初戦を勝ち切った東京国際大は、ベスト4進出を懸けて流通経済大(関東5)と対峙する。背番号1を付けている志賀は、試合前から大声を出し、チームメイトを鼓舞しながら、自身のウォーミングアップにも余念がない。だが、その後に向かったのはピッチではなくベンチ。スタメンリストのGKの欄には、後輩のGK松本崚汰(3年=白井高)の名前が書きこまれているからだ。

 ハーフタイムが近付いてきたタイミングで、志賀は足元に置かれていたベンチコートを次々と集め、両手に抱え込む。前半終了のホイッスルが鳴ると、誰よりも早く駆け出して、それを選手たちに手渡し、ハイタッチしながら、一言ずつ笑顔で声を掛けていく。

「やっぱりチームが勝つために、自分がみんなにどういう形で良い影響を与えられるかといったら、声で鼓舞するところなのかなって。それはピッチ内でもピッチ外でもそうで、『ああ、コイツちょっと気落ちしてるな』とか、そういうことは特に4年生になってから気にするようになりました。チームに対してプラスのエネルギーをバンとぶつけられるというのは自分の強みだと思っていますし、そこは存分に生かした方がチームにとってプラスだなと思っての“アレ”なので、結構当たり前だと思ってやっている部分が大きいですね。単純にチームのためにやるべきことをやっている感覚です」。

 4年生にとって、インカレは大学生活最後の大会。まさに集大成となるべき試合に出られない現状が、悔しくないはずがない。それでも、笑顔で“アレ”をこなせるこの男の存在が、どれだけチームにプラスのエネルギーをもたらしているかは、容易に想像できる。

 ベンチコートを渡し終えると、1人でのルーティンが始まる。ストレッチで体を動かし、グラウンドの空気に自分を馴染ませ、心拍数を上げる。しばらくすると星子GKコーチが合流し、1つ1つのトレーニングを丁寧に、確実に、こなしていく。その“準備”には、2人の先輩から受けた影響があったという。

「去年のインカレも自分はベンチに入っていて、その時は先輩の林祥太郎くんがスタメンで出て、アキレス腱をケガして大会に間に合わなかった松田亮くんはスタンドで応援団長をしていたんですけど、ベスト8で負けた後にあの2人が抱き合って泣いているのを見て、自分もメチャメチャもらい泣きしたんです。そこで4年間が詰まった想いとか、自分が知らない2人の関係性を凄く感じたんですよね」。

「だから、今回のインカレも自分が出るにしろ、出ないにしろ、チャンスが来た時にそれを掴めるだけの準備や行動はやろうと決めていました。それにチームが勝つための行動、声掛け、立ち振る舞いの部分はユースの時から変わらず、自分の中で当たり前にやってきた部分だったので、そういう意味では去年の2人の先輩たちにも『できることをやり切ったぞ』というのを見せたかったという想いが一番ありましたね」。

 もう1つの大きなモチベーションは、星子GKコーチの存在だ。「東国は9時から練習が始まって、10時半に終わるんですけど、1年生の頃はほぼ毎日1時ぐらいまで練習していたので、だいぶ星子さんのご家族には迷惑をかけてしまったんです(笑)。祥太郎くんもずっと星子さんと練習していたのを見ていたこともありますし、星子さんも『こういう練習やろうか?』とアドバイスをくれるので、それに引っ張られて、自分ももっとやろうと思った部分もありますね。そういう意味では本当に先輩や星子さんの存在あっての“アレ”なので、自分1人だったらあそこまでの熱量を持ってやり切れたかという自信はあまりないですし、そこもみんなのおかげかなと思います」。

 この日はメンバー外で、チームのサポートに回っていたGK北橋将治(1年=名古屋U-18)も「あの人は本当に準備が凄いです。尊敬できる先輩ですね」と言及。たとえ試合に出ていなくても、ハーフタイムに“アレ”をやり切れるこの男の背中は、後輩たちが目指すべきものになっているはずだ。

 実は“アレ”が大いに生きた試合を、今季のリーグ最終戦で経験している。ホームで行われた拓殖大戦。後半開始早々にゴール前での接触で松本のプレー続行が難しくなり、ベンチに入っていた志賀に出場機会が巡ってくる。

「メッチャ緊張しました」という背番号1は、これが2023年のリーグ戦初出場。しかも試合途中での登場だ。緊張しないはずがない。だが、ここでも志賀は持ち前の準備力とポジティブさで、少しずつ自分の置かれた状況を楽しんでいく。

「あの日はリーグ最終戦で父も見に来ていましたし、応援もたくさんいて、まずはこういう舞台のメンバーに入れることが凄く幸せなことだとは試合前から思っていて、やっぱり試合に出たくても出られない人もたくさんいますし、東国なんて部員がたくさんいるので、そういう気持ちを持っていても、そもそもなかなかトップに上がれないという選手もいる中で、自分はベンチに入れていることに感謝しなきゃいけないなとは感じていました」。

「試合に出ることになった時も本当にみんなが声を掛けてくれて、それはチームに勝ってほしいからだけじゃなくて、自分が試合に出ることに対して純粋に『やってこいよ』と言われている声だというふうに凄く感じて、そういう声も含めて良い気持ちでピッチに入れたなという感覚はありましたし、『ミスするかもしれない』というような不安な気持ちももちろんありますけど、それ以上に自分を強気に持っていくことは意識していました」。

 昨シーズンもやはり林の交代を受けて、試合途中から出場したことはあったが、それ以来となるほとんど1年半ぶりのリーグ戦出場。それが大学最後のホームゲームとなれば、気負わないはずがない。ただ、ハーフタイムにもしっかりと“アレ”をこなしていた志賀は、空回りしがちな自身の性格も冷静に見極め、とにかく自分にできることを見つめ直す。

「最後のリーグ戦なので、スーパーなプレーをしたいし、キックもどこまでも飛ばしたいし、クロスにも全部出たいし、シュートも全部止めたい、と。でも、そういうことじゃなくて、いかに自分の出せるエネルギーを持っている分だけ出せるかどうかが大事で、今日はキックの調子が悪いかもしれないけど、『でも、大丈夫。絶対できる』という自信を持つところが、あの日はうまく自分に落とし込めたので、強気な自分でピッチに立てた40分間だったんです」。

「なおかつあの日は1-0で勝っている状態で試合に出て、みんなの頑張りもあってそのまま無失点で行けたんですけど、ゼロに抑えて勝てたというのは、4年間で一番と言っていいぐらい自分の中で自信になって、どんなに練習をしても得られない感覚をあの試合で凄く感じたので、もちろん『今かよ。遅いよ』と思う部分もありましたけど(笑)、あの40分間は自分の中でこの先もいつになっても思い出すぐらい、自分のサッカー人生にとって本当にプラスな40分間になるなという確信がありました。あそこで得た経験をここからさらにプラスできれば、もっともっと成長していけるなと思いましたし、『まだまだ自分は伸びしろだらけだな』という感覚はすごく感じます」。

 1年時から数えてリーグ戦の52試合をベンチで過ごした志賀が、グラウンドの“内側”に立ったのは通算で5試合だったが、実は自身の出ているゲームでチームが勝ったのは、この“40分間”が初めて。試合が終わった後に目にしたチームメイトの笑顔と、自分の中に染み渡った絶対的な勝利の手応えは、必ずやこれからの人生を鮮やかに彩ってくれるだろう。

 後半14分。流通経済大が先制点を挙げる。1点を追い掛ける展開となった東京国際大は懸命に攻めるも、なかなか相手ゴールに迫り切れない。どんどん消えていく時間に、サイドから仲間の奮闘を見守る志賀の顔にも、徐々に焦りの色が浮かんでくる。

 タイムアップのホイッスルが、秋津の空に吸い込まれる。0-1。わずか1点の差で、東京国際大の2023年シーズンは終焉を迎える。それは、志賀も含めた4年生にとっては、すべてを捧げてきた大学サッカーに幕が下りる瞬間でもあった。

 誰もいなくなったピッチを、見つめていた。ラインの内側でプレーすることの叶わなかったその場所を、大学の4年間が終わったばかりのその場所を、ラインの外側から、ずっと、ずっと。

「やっぱり試合、出たかったですね。そこが一番心残りというか、自分がやってきたことに対しては自信を持っていますけど、うまく結果に繋がらなかったので、『まだまだ努力が足りないな』と、『まだまだできることがあるんじゃないかな』という部分を、もっと自分の中で突き詰めていかないといけないなという部分もありますね。あとはサッカーを始めてから、父も母もずっと背中を押してくれましたし、自分が試合に出られなくても大学の試合を見に来てくれたりしたので、そういうところでもっとチャンスを掴める選手に、結果を出せる選手に、チームを勝たせられる選手になれなかったことは、悔しい思いが一番強くて、やっぱりまだまだですね」。

 高校時代を過ごした柏レイソルU-18でも、思ったような3年間を送れたわけではない。先輩には猿田遥己小久保玲央ブライアン千綿友、1つ下の後輩には佐々木雅士とハイレベルなライバルたちが近くにいたため、いわゆる“正守護神”の座を掴むまでには至らなかった。

 それでも柏U-18に東京国際大という、全国でも有数の強豪チームで日々トレーニングを重ね、試合出場を目指し、どれだけ跳ね返されても諦めずに、そこへと向かい続けた7年間は、志賀にとってかけがえのない時間であり、大きな誇りを持っている経験だ。

「結果だけ見たら、大学でも『また2番手で終わっちゃったな』という想いはやっぱりあります。自分のことを応援してくれている人たちに、その感謝をプレーで示せなかったことは悔しいですし、バンバン試合に出て、プロになるということを掲げて、それが恩返しになると思って4年間やってきたので、それが叶わなかったなという想いもありますけど、一番はその掲げた目標を変えずにやってこられた7年間は、自分に対して誇りに思っているんです」。

「やっぱり人って目の前の結果に左右されがちで、周りからいろいろ言われて『何だよ』って目が外に向く選手もたくさん見てきたので。でも、『自分がどうなりたいか』『自分がどういう選手でありたいか』ということを一番に考えて、いろいろな人に相談をしながら、どんな立場であろうともチームのために100パーセントのことをやるというところは、ブラさずにやってこられたことに対しては、『自分、お疲れ!』って言ってあげたいなと(笑)。そこは自分でも一番やり切れたなという自信がありますし、やって良かったなとも思います」。

 諦めの悪い男は、まだまだ自分を諦める気持ちなんて毛頭ない。

「サッカーはもちろん続けます。もちろんですよ。プロになることは諦めないですし、自分は40歳くらいまでとことんサッカーしようと思っているので、どこのチームに行くとしても上を目指すことに変わりはないです。それができる環境も考えながら、ベストなチームが決まればいいかなって。まだまだこんなところで諦められないですから!」。

 そう言い切って颯爽と取材エリアを去っていく志賀を、少し離れた場所で後輩が待っていた。一言二言声を掛け、ハイタッチを交わすさまは、まさに“カッコイイ先輩”のそれ。その一連に彼の過ごしてきた7年間が凝縮されているような気がして、思わず笑ってしまったと同時に、これから進んでいく未来での幸運を、そっと願った。

 いつだって、その軸は自分のど真ん中に置いてきた。試合に出ていても、出ていなくても、自分のやるべきことを、100パーセントでやり切ること。どれだけ心が折れかけても、どれだけ言いようのない悔しさに苛まれても、そこがブレたことは一度だってない。

 だから、きっと大丈夫。30歳になっても、それこそ40歳になっても、その時にいる場所がどこであっても、志賀が絶対に自分を諦めないことだけは、間違いなく保証されている。

■執筆者紹介:
土屋雅史
「群馬県立高崎高3年時にはインターハイで全国ベスト8に入り、大会優秀選手に選出。著書に『蹴球ヒストリア: 「サッカーに魅入られた同志たち」の幸せな来歴』


▼関連リンク
SEVENDAYS FOOTBALLDAY by 土屋雅史


●第72回全日本大学選手権(インカレ)特集
Source: 大学高校サッカー

コメント

タイトルとURLをコピーしました