「正直入れないかと」パリ五輪メンバー佐藤恵允の紆余曲折…大学生で初招集、常連組への道のり、最終予選で苦戦もパリへ「全試合全力で」

MF佐藤恵允
 悲願のパリオリンピックメンバーに入り、全力でメダルを追いかける。ブレーメンのU-23日本代表MF佐藤恵允は3日のオンライン会見で心境を語る。「ドイツでは朝7時の発表を生で観ていた。率直にうれしい気持ちと、少し驚きがあった」と思いを口にした。

 明治大サッカー部で成長を続け、大岩剛監督体制では2022年5月の候補合宿で初招集。同年6月にウズベキスタンで行われたU23アジア杯に追加招集で唯一の大学生としてメンバー入りすると、4試合出場2得点と活躍した。その後は欧州遠征での参加が続き、23年3月の欧州遠征ではドイツとベルギーから1得点ずつ奪う結果を残した。

 だが、常連組の一員までの道のりはまだ遠かった。23年4月には再び候補合宿に参加。当時の佐藤は「境目に入るか入らないか、グレーゾーンのところにいる選手。もっと圧倒的な選手になって、もっと立ち位置を上げるくらいやらないとダメ」と自身の現在地を語っている。23年夏には異例のブレーメン移籍が決定。直後には大学生メンバー中心のアジア競技大会で決勝まで勝ち進み、23年11月の国内活動では常連組とともにU-23アルゼンチン代表相手に鋭いミドルシュートを決めた。

 アルゼンチン戦での活躍で実力を知らしめた。今年3月の国内活動では日の丸の背番号10を着用。「重いっす」と心境を吐露しながら、パリ五輪に出場するウクライナからゴールを奪取。たしかな成長とともにパリ五輪アジア最終予選を兼ねたU23アジア杯メンバー入りを果たした。

 パリ五輪切符を懸けたU23アジア杯では3試合先発、3試合途中出場で全試合に出た。持ち前の走力を生かしてチームに貢献した一方、決定機の場面で決め切ることができなかった。大会中には「個人としてこの大会はまだあまりうまくいっていない」と悔しさをにじませる。推進力や持ち前の強引さは健在だったが、数字を残せなかった点だけが後を引いた。

 パリ五輪メンバー入りを知った直後の“少しの驚き”は、U23アジア杯の悔しさから生まれたものだった。「最終予選でいいプレーができなかったというところもあった。18人の枠に自分が入っているかどうか。正直、入れないなっていう実感もあった。そのなかでの選出だったので驚きがあった」。メンバー発表までの短い時間で取り組んだこともある。芽生えた迷いを払しょくするために、これまで選ばれてきた意味を自問自答したという。

「なぜ代表チームに選ばれているのか、自分がいまできること、できないこと、取り組まなければいけないことをその期間で考えたり、誰かにアドバイスを聞いたりした。少しでも迷いがなくなるように、練習のなかで追求してきた」。明大の恩師・栗田大輔監督にもアドバイスを求めた。「守備の時間でも、自分がボールを奪ったときにどう攻撃に転じて、自分のプレーができるか。ポジショニングの部分をすごく言われた」と気づきを語った。

 メンバー発表会見で大岩監督の口から佐藤の名前が出た瞬間、知り合いからは30件近くのメッセージが届いた。「応援してもらえているし、支えてもらっていると感じた」。メンバーにはオーバーエイジ(OA)は不在だが、逆境を乗り越えてきた佐藤は改めてメダルへの思いを語る。

「アジア最終予選のときも、この世代ではパリ五輪に行くのは厳しいという声もあった。そこでもメンバーのなかでパリ五輪決めるぞと、アジア杯王者としてオリンピックに行くぞと話した。OAなしでこの世代じゃ難しいだろうと言われているなかで、そういうのも含めてやってやろうという気持ちはある」

 このチームでは誰よりも長い道のりを経て、パリ五輪に向かう。「日の丸を背負った18人のうちの一人として、全試合死ぬ気で全力で勝ちに行ってメダルを取りたい」。悔しさを晴らすチャンスを手に、フランスでの躍動を誓った。

(取材・文 石川祐介)


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Source: サッカー日本代表

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