国士舘大で60年以上にわたる指導、日本サッカー殿堂入りの大澤英雄さんが逝去…JFA川淵相談役や宮本会長らが追悼

大澤英雄さん(写真は2014年)
 日本サッカー協会(JFA)は16日、国士舘大理事長で2023年に日本サッカー殿堂入りした大澤英雄さんが亡くなったことを受け、川淵三郎相談役、田嶋幸三名誉会長、宮本恒靖会長の追悼文を公開した。

 大澤さんは1936年に生まれ、国士舘大サッカー部で初代キャプテンとしてプレー。卒業後は国士舘大で60年以上にわたって指導を行い、宮澤ミシェル氏や柱谷哲二氏、柱谷幸一氏といった往年の名選手を含めて多くのプロ選手を輩出した。また全日本大学サッカー連盟(JUFA)理事長や関東大学サッカー連盟会長なども務め、昨年も国士舘大サッカー部にテクニカルアドバイザーとして携わっていた。

 23年には「全日本少年サッカー大会」(現JFA全日本U-12サッカー選手権大会)の創設に尽力したことや、大学のセカンドチーム以下のカテゴリに所属する選手にとって貴重な出場機会の場となる「インディペンデンスリーグ(Iリーグ)」を創設するなどしたことも称えられ、JFAの日本サッカー殿堂に掲額された。

 川淵氏と田嶋氏はJFAを通じて以下のように追悼している。

▽川淵三郎相談役
「大澤先生の突然の訃報に接し、言葉にできないほどのショックを受けています。この悲しみをどう表現したらいいのか。病気療養中であることは承知していましたが、どんなご様子なのかこの2・3日、電話してみようかどうしようか迷っていました。それが虫の知らせだったのか…。なぜ電話しなかったのかと、いま心底、悔やんでいます」

「大澤先生には長い間、公私にわたってお世話になってきました。日本サッカー界における大澤先生のご功績は、殿堂入りされたことで証明されていますが、個人的には、Jリーグ創設の際、ヴェルディ川崎(当時)が等々力陸上競技場をホームスタジアムにするにあたり、大澤先生と高橋清市長(当時)に大変ご尽力いただきました。それが今の川崎フロンターレにもつながっています」

「また、僕が首都大学東京(現東京都立大)の理事長に就任する際は、その心構えや念頭に置くべきことなど貴重なアドバイスをいただきました。大澤先生との会食はいつも楽しく、得るものが多くあり
ました」

「国士舘大学サッカー部から多くの逸材が輩出しています。長きにわたり、優秀な人材を育てていただいたことを感謝するとともに、これまでのご厚誼に心から感謝申し上
げます。大澤先生、安らかにお眠りください」

▽田嶋幸三名誉会長
「かねてよりご療養中と伺っていましたが、突然の訃報に接し、驚きを禁じえません。大澤先生は、1970年に日本サッカー協会(JFA)が開催したコーチングスクールの第1期生で、同期の堀田哲爾先生、小嶺忠敏先生、松本光弘先生らと共に、小・中・高、大学、そしてJSL(日本サッカーリーグ))少年サッカーからトップレベルに至るまで半世紀以上にわたって選手育成・指導者養成に携わり、日本サッカーの発展期を支えてこられました」

「先生が育てた選手・指導者は枚挙にいとまがないほどで、先生の薫陶を受けた指導者の皆さんはそれぞれ小・中・高校、大学、日本サッカーリーグ(JSL)などの指導に携わり、今なお優秀な選手を数多く育てています。近年、大卒のプロサッカー選手が増えてきたことも先生のお力にほかなりません」

「『義』を重んじ、間違ったことは許さない方でしたが、いかなる助けも惜しまない、まさに”侍”のような方でした。指導者を志していた私にも目をかけてくださり、JFAの会長になってからも叱咤激励していただきました。今の私がいるのは先生のお陰と言っても過言ではありません。大澤先生、ありがとうございました。在りし日のお姿を偲び、心よりご冥福をお祈り申しあげます」

宮本恒靖会長
「大澤先生の訃報にふれ、お悔やみを申し上げます」

「国士舘大学サッカー部を情熱溢れる指導で育て上げ、先生が送り出した人財は選手だけでなく、サッカー界の様々な分野で多く活躍されています。また、育成年代の組織整備にも尽力いただきました。整備いただいた大会を経て、日本サッカーは成長し、今はワールドカップにも出場できる競技力を身に付けることができました。ピッチ内外における多大なる貢献について深く御礼を申し上げたいと思います」

「23年の日本サッカー協会殿堂掲額式典でお会いしたときはお元気で、これからも日本サッカーのために御力をお借りしたかったのですが、今回訃報にふれて残念でなりません」

「これまで日本サッカー界のために本当にありがとうございました。大澤先生に『よくやった』と言ってもらえる未来を作り上げていきます」


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Source: 大学高校サッカー

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