[高校サッカー・マン・オブ・ザ・マッチ]
[10.15 国体少年男子準決勝 茨城県 0-0(PK4-1)東京都 OSAKO YUYA stadium]
覚悟を決め、誰よりも走った。茨城県は東京都を下し、44年ぶりの決勝進出。チームのために走り、戦って歴史を変えた選手たちの中で、特に光ったのがFW正木裕翔(鹿島ユース、1年)だ。
この日は立ち上がりから、一際多くの運動量を発揮。前から献身的に走るFWについては、東京都の選手も嫌な存在だったことを認めていた。味方との連動した守備によって敵陣でボール奪取。また、DF背後への抜け出しを繰り返し、後半27分には左アーリークロスに反応してあわやPKという動きも見せていた。
自身がおとりとなるなど、エースFW徳田誉(鹿島ユース、2年)とのコンビネーションでもチャンスメーク。攻守両面で相手を苦しめていた。その正木のエネルギーとなっていたのが、前日の途中交代だ。
正木は前日の徳島県戦で先発したが、後半9分にチーム最初の途中交代。「昨日、代えられた時に(監督の)赤須さんに『ごめん』と言われて、それが自分的に心の中に残っていて、申し訳なくて、自分が決めるところで決められなかったし、それできょうはずっと『やってやる』という気持ちがあった」。覚悟を決めたFWは迷惑をかけた分を取り戻すために走り続けた。
「守備のところは(東京の)3番(佐々木将英)が代表ということで自分は負けたくないし、自分がプレスに行くことで何もさせないという気持ちでやっていました。鹿島ユースに所属していて、いつも火曜日にGPS測っていて、自分でもいつも練習を100パーセントでやって、『自分は走れる』という思いで日々やっていて、それがここに出ているんじゃないかと思います」
鹿島ユースで「走れるようになった」というFWの攻守両面での頑張りは、強豪・東京都を押し込む大きな要因になっていた。赤須能尚監督(日立北高)も「(正木に対して)人生変えろ、と言っていた」という中で“2人分”とも言えるような働き。指揮官もその動きを高く評価していたが、本人はゴールを決められなかったことを悔しがる。
「いつもよりは走れていたんですけれども、点には繋がっていなかったので。点に結びつけるのが一番なので、明日(の決勝)は必ず点を取って優勝したいです。またリカバリーして、もっと良いコンディションで走れるように。あとは点を決められるようにしたい」と力を込めた。
正木は中学時代、福島県から茨城県の鹿島アントラーズノルテジュニアユースへ通い、プレー。中学3年時からユースチームで活動するようになったという。そのユースチームの指揮を執るのは、元日本代表FW柳沢敦監督だ。
「ずっと中学の頃はヤナさん(柳沢監督)のプレーを見ていたし、一番憧れている人です」。16日は日本一を懸けた決勝戦。恩師から学んだ動き出しやシュート、ハードワークすること……現在の自分の力を全てぶつけるだけだ。「ここ(全国決勝)で自分が周りの人に力を見せれるように、表現したいです」というFWがゴールを決め、1974年大会以来の優勝を喜ぶ。
(取材・文 吉田太郎)
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Source: 大学高校サッカー
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