[12.7 インカレ1回戦 常葉大 0-1 鹿屋体育大 AGFフィールド]
相手のスコアボードに記された“1”の数字。その、わずか1点の差で負けたという事実を、自分の中に刻み込む。ここでの4年間で得た経験と、最高の仲間から託された想いを胸に、新たなステージで必ず高く、高く、羽ばたいてみせる。
「ここから自分は新たなスタートラインに立つので、来年はJ1でもスタメンで試合に出て、もっとチームを勝たせられるような選手にならないといけないですし、この試合も自分がゴールを守れていれば勝てたわけで、『もっと自分にベクトルを向けていかないといけないな』と、『この想いを絶対に忘れないようにしよう』とは感じました」。
常葉大(東海2)を束ねてきた守護神でキャプテン。GK中島佳太郎(4年=磐田U-18/磐田内定)は多くのことを学んだ大学での4年間を経て、再び帰還するサックスブルーでのさらなる飛躍を誓っている。
「自分たちは勢いが売りで東海リーグを戦ってきたんですけど、それが全国大会になったことで慎重になってしまったかなと」。中島は終わったばかりの試合をそう振り返る。鹿屋体育大(九州2)と対峙したインカレの初戦。常葉大はなかなか前進できず、相手の攻撃を受けるような展開を強いられると、前半32分には右サイドから上がったクロスを中央で合わされ、先制点を献上。最初の45分間は1点のビハインドを負って折り返す。
常葉大のディフェンスラインは大半が下級生で構成されており、「コミュニケーションを多くして、うまくいかない部分は一緒に振り返りながら修正して、『後ろは自分がいるから大丈夫だ』と言いながら、前に思い切りプレーができるような関係性が築き上げられたかなというのはありました」と話す中島を中心に、後半はより高い集中力で2点目を許さずに奮闘を続けるも、試合を振り出しに引き戻すための1点が遠い。
ファイナルスコアは0-1。「チームとして今年で一番良い状態でこの大会に挑めたんですけど、自分たちがいろいろなものを犠牲にして積み上げたものが、まだ足りないかと。全国のレベルで戦うには、まだまだもっといろいろなものを突き詰めて、自信を持たないと通用しないんだな、ということを改めて痛感した試合でした」。中島がキャプテンとして奮闘した1年間は、努力と苦労を積み重ねてきた4年間は、AGFフィールドのピッチで幕を閉じた。
やはりチームの牽引役を担った今年の1年は、いろいろな意味で自身の成長も促された時間だったという。「それこそまだシーズンの始まる前の段階では、自分が未熟だったこともあって、うまくいかないことが多すぎて、自分が先頭を走るというよりは全体を俯瞰して、みんなが進むべき道を示しながらも、後ろを走っている選手も押してあげるという部分を意識しないといけないなって感じたんです」。
「もちろん落ち込んでいる選手がいれば『最近どう?』みたいな感じでコミュニケーションを取る必要があるので、気付いたら自然と練習から帰るのが一番最後になりますよね。後輩たちは最後まで練習をやっていますし、その子たちとコミュニケーションを取りながら、いろいろな話をしていると、時間は過ぎちゃいます」。
チームをまとめるキャプテンとしての立場と、チームを勝たせるパフォーマンスを発揮しなくてはならない守護神としての立場。難しい両立を支えた一因は、去年の1年を掛けて見せてもらった、“前キャプテン”の背中だった。
「僕はかなり(小松)慧くんの影響を受けていて、最初は『暑苦しいなあ』と思っていたんですけど(笑)、一緒にいると見える景色がどんどん変わっていったんです。あの人はすごく全体を俯瞰していますし、自分の感情は持ちながらも自己犠牲を払ってチームのために力を注いでいたからこそ、去年の結果があったかなって」。
「だから、あの人ぐらい自己犠牲を払わないと、たぶん誰も応援したいと思わないんじゃないかなって。僕たちがシーズンの一番最初に『応援されるチーム、応援される選手、愛されるチームを作ろう』と掲げたのは、去年の先輩たちがそういうものを見せてくれたからで、本当にいろいろな苦しい想いをしたり、眠れない日もたくさんあったんですけど、それは慧くんも経験したことで、だからこそ自分も『去年のキャプテンもこういうことがあったな』ということを振り返りながら、『今は踏ん張りどころだ』と思って、みんなに時間を割こうと思うこともできたかなと思うんです」。
この日のスタンドには、“前キャプテン”の小松慧も姿を見せていた。中島は少しだけ悔しそうに、言葉を紡ぐ。「なんかあの熱量は超えられなかったですね。悔しいです。超えてやろうと思っていたのに(笑)」。彼らにしか、キャプテンにしかわからない絆が、きっとあるのだろう。
来シーズンからは小学生から高校生までの時間を過ごしたジュビロ磐田で、プロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせることが決まっている。磐田U-18時代も強力なライバルたちを前に定位置を掴むまでには至らず、大学入学後も1年半近い期間をケガのリハビリに費やすなど、決して順風満帆ではない経験を重ねてきたからこそ、自分がJリーガーになることのできた意味は、自分が一番よくわかっている。
「ジュビロ磐田が育ててくれたおかげでここまで来れたという感謝を、少しでも勝利という形に変えていくことが自分にできる恩返しだと思っていますし、プラスアルファとして下部組織の子たちにも刺激を与えてあげられるような、もっと夢を見させてあげられるような、良い選手になりたいなって。サッカー選手って色々な夢の示し方があると思うんですけど、それこそ高校も大学も挫折ばっかりだった自分がプロになれたことで、今はうまくいっていない選手や大きなケガをした選手にも『自信を持ってプレーすれば大丈夫だよ』ということを伝えていければなと感じているので、そういう選手としてジュビロで輝けたらいいなと思っています」。
加えて4年ぶりに再びジュビロでチームメイトになる、最高のライバルで、最高の親友でもあるGK杉本光希(立正大4年=磐田U-18/磐田内定)の存在も語り落とせない。
「本当に高校も大学もいつも(杉本)光希が僕の先を行っていたので、追い付け追い越せでやってきましたし、光希に『代表入ったよ』とか『オレは試合出てるぞ』とか言われたことで(笑)、『何くそ』という精神で血の滲むような努力ができたので、光希には感謝しかないです。僕にあって、光希にないものもありますし、光希にあって、僕にないものもあるので、お互いに良いものを吸収しつつ、スタメンは自分が奪うという想いは持ちながら、2人でジュビロのゴールを守り続けられたらいいなって。もう光希とは一生のライバルになると思うので、どっちが出ても遜色ないぐらいのキーパーになれればなと考えています」。
まずはジュビロで正守護神の座を掴み取る。そして、その先に抱いている目標も、中島は笑顔で教えてくれた。
「僕は常葉大学に来ていなかったらプロになれていないと思いますし、監督の山西(尊裕)さんは寛大で、心が大きくて、知識もあって、誰よりも負けず嫌いで、この大学に来たからこそ、自分は山西さんにサッカーの新しい楽しみ方というか、サッカーの深さに触れさせてもらえて、よりサッカーが好きになりました」
「本当に自分は返し切れないぐらいの感謝があるので、その中で山西さんに教えてもらった『ヘタクソでもプロになれるんだよ』ということを、いろいろな人たちに伝えていければなって。だからこそ、そんな自分が昔の川口能活さんみたいに、日本の中での絶対的な存在に近付きたいんです。それは自分の中で目標として持っているので、そこに向かって光希と切磋琢磨しながらやっていきたいなと思っています」。
自分だから、誰かに与えられる夢がある。自分だから、誰かの背中をそっと押すことができる。愛と情熱のゴールキーパー。中島佳太郎がサックスブルーと紡いでいく新しいキャリアが、今からとにかく楽しみだ。
(取材・文 土屋雅史)
Source: 大学高校サッカー
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