元日本代表MF遠藤保仁(43=磐田)が9日、23年シーズン限りでの現役引退を発表した。あわせてG大阪のトップチームコーチ就任も決定した。ともに歴代トップのJ1通算672試合出場、国際Aマッチ通算152試合出場。26年間の現役生活で数々の金字塔を打ち立て、指導者として第2のサッカー人生をスタートさせる。
24年元旦には自身ブログで「健康第一でサッカーを楽しみたい」とつづった。実力、情熱ともに衰えていないが、今後のサッカーへの携わり方を熟考した末、遠藤保仁がスパイクを脱ぐ決断した。今季J2リーグ21試合5アシスト。くしくも磐田の2年ぶりJ1復帰が置き土産となった。
98年に鹿児島実から横浜フリューゲスルに入団。新人離れした落ち着きと技術でカルロス・レシャック監督に見初められ、リーグ開幕・横浜戦でスタメンデビューを果たした。そして京都を経て、01年に加入したG大阪で才能が一気に開花。元日本代表指揮官の西野朗監督の下、攻撃の中心として君臨した。
05年に次期日本協会会長・宮本恒靖らとともにクラブ史上初のリーグ優勝、08年には明神智和や二川孝広らと黄金の中盤を形成してアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)初優勝。その年のクラブW杯ではマンチェスターU(イングランド)と激闘を演じ、オランダ代表GKファンデルサールを代名詞の“コロコロPK”で手玉に取った。12年にクラブがJ2降格の憂き目に遭った際には誰よりも早くチーム残留を明言。出場機会を求めて20年10月に磐田への移籍を決断したが、G大阪のユニホームの左胸に付く9つの星(タイトル数)全てに関わった。現在もクラブが追い求める「超攻撃スタイル」を作り上げた。
日本代表としても06年、10年、14年と3度のW杯出場。10年W杯南ア大会デンマーク戦では直接FKを叩き込んで16強進出に貢献した。スプリント回数は少ないが、走行距離はチームトップ級。その背景には先読みした位置取りや繊細なポジション修正がある。ピッチ全体を俯瞰して見渡す洞察力にも優れ、11年アジア杯優勝後は本田圭佑をして「個人的なMVPはヤットさん」と言わしめたほど。派手さはないが、誰もマネできないプレーで一時代を築いた。
小野伸二(札幌)や高原直泰(沖縄SV)も23年限りで引退。99年ワールドユースで準優勝に輝いた“黄金世代”の盟友と同じタイミングでスパイクを脱ぐことになった。すでに今オフには指導者C級ライセンスを受講するなど準備。今季からは約20年間在籍したG大阪で指導者のキャリアを歩み出し、まずは3年連続残留争いに巻き込まれた古巣の再建に尽力する。そしてゆくゆくは指揮官としてJ1制覇、アジア制覇へ。偉大なる功績を残した日本のレジェンドの、新たな挑戦が始まる。
https://news.yahoo.co.jp/articles/f89e884bff69775179f8e764a2381909397df951
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Source: サカサカ10
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