村上陽介にとっても驚きのニュースだった。今季よりプロ生活をスタートさせる大宮アルディージャが、今月11日にU18チームのコーチを務めていた横山知伸さんが同4日に亡くなっていたことを公表。横山さんは現役中の2018年に脳腫瘍が判明し、摘出手術を行ったが、昨年夏に再発の診断がされていた。
横山さんとは昨年3月、仮契約のサインをするためにクラブハウスを訪れた際に、初めて顔を合わせたという。「ノリいい方だなという印象。初対面だったんですけど、よろしくな!みたいな感じだった。病気で復活されて、大宮に戻ってこられた方という認識だった。必ず今季優勝して、横山さんに昇格のニュースを届けたいなと思います」。同じ大卒Jリーガーの先輩の訃報に身を引き締めた。
大学時代を過ごした世田谷区八幡山は、子供のころから慣れ親しんだ場所だった。八幡山小学校出身で、実家は明治大の練習場から徒歩数分の場所。練習場の横に併設されていた寮の前は、小学校へ向かう通学路だった。「小学校の時は何だここはと思って歩いていた」。数年後、自身がそこに住むことになるとは思いもしなかった。
最大16人が一部屋で生活するなど、伝説を多く残した建物。「初めて入った時は異世界過ぎて、地元なのに“ここどこだ”みたいな感覚から始まった」。最初はチームメイトと実家に身を寄せることがあったと素直に明かす。
しかしその寮は23年春に老朽化もあって解体された。数百メートル離れた場所に新たな寮が建設され、2人部屋になった私生活の部分や食事面など多くの改善がされた。ただ一方で「ちょっと寂しいな」という思いも持ったという。「最後の3年生の時は割と自由が利くので。中村草太、久保賢也、福田心之助の4人でつるんでいたのが楽しかったなという話をしています」。間違いなく、かけがえのない青春がそこにはあった。
サッカー面でも精神的に鍛えられた4年間だった。高校3年生の11月にU-17日本代表に選出されてU-17ワールドカップに出場。大学入学初年度の開幕戦に途中出場するなど、順風満帆な船出をしたかに思えたが、4年間で確固たるレギュラーポジションを掴むことは出来なかった。
ただ「自分に矢印を向けてやってきた」からこそ、大宮帰還に繋がった今があると考えている。大宮でも下級生のころはなかなか試合に絡めなかったが、その経験があったことも大きかったと振り返る。「自分はよくエリートだと思われるんですけど、僕自身は全く思っていない。明治大学に入れたこと、なおかつプロになれたのは、過去を思うと奇跡だと思っている。苦しい経験は慣れていたというか、めちゃめちゃ苦しかったけど、自分に矢印を向けてやる時間だと思ってやってきました」。
兎にも角にも、今春よりプロ生活が始まる。クラブ史上初のJ3を戦うが、高校3年間を過ごした古巣でもある大宮の低迷は、納得がいくものではない。「まずは大宮を僕自身が中心となって必ずJ2に上げること。そして海外で活躍する選手になっていきたい」。自分に矢印を向けることで、プロの世界でも飛躍を掴むつもりだ。
(取材・文 児玉幸洋)
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Source: 大学高校サッカー
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