東京のユースサッカーの魅力、注目ポイントや国内外サッカーのトピックなどを紹介するコラム、「SEVENDAYS FOOTBALLDAY」
「なんでオレばっかり」と運命を恨んだこともある。「本当にまたボールを蹴ることができるのか」と不安に苛まれたこともある。でも、諦めなかった。諦められなかった。出会ってしまったこのサッカーという、人生のど真ん中に置いてきたものから離れる自分なんて、やっぱり考えられなかったから。
「この2年間サッカーをしていない自分を、1人の選手として見てくれていたことは凄くありがたいことですし、自分も最後までトップ昇格を諦めていなかったので、それが叶って良かったです。今後も『あの時にケガして良かったな』と思えるぐらい、大きく成長できたらなと思っています」。
2度の大ケガに見舞われながらも、決して諦めなかった男。サガン鳥栖U-18が誇る、ハイクオリティな左サイドバック。DF北島郁哉(3年=サガン鳥栖U-15出身)は以前より心身ともに成長した姿で、来年からプロサッカー選手としての日常に飛び込んでいく。
9月17日。サガン鳥栖から1つのリリースが発表された。『北島郁哉選手、トップチーム昇格内定のお知らせ』。それは来季からのトップチーム昇格選手を発表するものだったが、北島自身も「意外というよりはビックリしました」と口にしたように、日頃から鳥栖のアカデミーをよく見ている方々にとっても、少し驚くようなリリースだったかもしれない。なぜなら、彼は昨年の5月からまったく公式戦に出場していないからだ。
高校2年生に進級した2022年は、春先から好調が続いていた。3月にはU-17日本代表合宿にも招集され、チームも初昇格となったプレミアリーグの舞台で躍動。開幕戦から左サイドバックのスタメンを勝ち獲っていた北島は、第6節の清水エスパルスユース戦ではゴールも記録。とにかく眩い輝きを放っていた。
そんな矢先の5月。ある日の練習で右ヒザを傷めてしまう。「すぐに歩けたので、そこまで大きいケガではないかなと思っていました」。だが、病院に行って下された診断は右ヒザ前十字靭帯断裂。想像以上の重傷だった。
「前十字靭帯の断裂は初めてでしたし、どれだけ大きいケガかということはわからなくて、病院に行って手術と聞いた時もあまり良くわからない状況でした」。受傷当初を振り返る北島の言葉は率直な感想だろう。ところが、少なくともシーズン中の復帰は難しいことを知り、未来への不安が頭をもたげてくる。「やっぱり2年生の1年間は、自分の中で進路のことを考えても大きな1年だと思っていたので、そこでサッカーをできなくなるのは、かなり悔しかったです」。
それでも、もともとポジティブで周囲にも明るいエネルギーをもたらすようなタイプ。「実際にケガをしていても、自分にできることはたくさんあったので、そこに全力で取り組んだという感じでしたね」。すぐに気持ちを切り替えて、その時の自分がすべきことを探し、見つけ、向き合っていく。
それまでのサッカーキャリアではほとんど試合に出続けていたため、外からサッカーを見るという経験も、北島の中では新鮮だった。「自分が試合に出ていた時は客観的に見られていないことが多かったですけど、外から見ると客観的に見ることができて、チームメイトのプレーを見ながら、『自分だったらこうしていたな』ということも感じられました」。
「下半身はヒザを使えないので、上半身をフィジカルコーチとずっと一緒に毎日鍛えて、フィジカルはどんどん強くしていきました。ボールはずっと蹴りたかったですけど、手術してからジョギングができたのが4か月ぐらいで、ショートパスを蹴ったのは5か月ぐらい経ってからでしたね」。新たな気付きも得ながら、少しずつ戦線復帰に向けて準備を重ねていく。
その間に鳥栖U-18は着実に勝ち点を重ね、プレミアリーグWEST優勝を達成。川崎フロンターレU-18と国立競技場で対峙したプレミアリーグファイナルでも勝利をもぎ取り、昇格1年目で堂々と日本一の座に就く。試合後の記念写真には北島もしっかりとそのフレームの中に収まった。
「今年はもうプレーできないとわかっていたので、一生懸命チームのサポートをして、左サイドバックの人にアドバイスだったりは掛けられた中で、チームが優勝できたのは自分も嬉しかったです。嬉しかったんですけど……、『ここに自分が出ていたらな』とは思っていました」(北島)。
年が明け、シーズン開幕を目前に控えた3月中旬。福岡で開催されたサニックス杯の前橋育英高戦で、北島は実に10か月ぶりの実戦復帰を果たす。登場したのは後半のラスト5分。「久しぶりの試合だったので、どれだけできるか自分でも不安でした」という左サイドバックは、積極的にボールを呼び込み、得意の左足で強烈なクロスを何本も上げ続ける。
「前橋さんが結構引いていたので、中の枚数を増やして、クロスをどんどん上げて、そこで勝負できたらいいなと。クロスは上げられたんですけど、中の入り方と自分の上げるタイミングにズレができて、オフサイドに掛かったりしていたので、そこは改善していきたいと思います」とは本人だが、短い時間で圧倒的な存在感を発揮。隣で見ていたある記者が「あの子は誰ですか?プロの選手ですか?」と、そのプレーに驚愕していたのも印象深い。
PK戦でも5人目のキッカーとして登場すると、中央にグサリと成功。最後は7人目で決着が付き、復帰戦を勝利で飾ることに成功した中で、チームメイトと楽しそうにPK戦の行方を見つめる姿も、強く記憶に残っている。
試合後に話を聞くと、「結構できたので、嬉しかったですね。ちょっとは感覚のズレもあるんですけど、そこは言い訳しても始まらないですし、やっていくしかないので、日頃の練習からちょっとずつ戻していきたいと思います」と語る表情にも、自然と笑顔がこぼれる。
今季の目標を尋ねられ、「クラブユースも優勝して、プレミアファイナルも優勝できたらなと思いますし、個人としてもトップ昇格を目指しているので、そこに向けて今年1年全力で取り組んでいければなと思います」と話しつつ、「開幕戦は自分たちのホームでできるので、お客さんもたくさん見に来てくれると思いますし、そこは絶対に負けられないですよね。開幕戦に懸ける想いをチームのみんなで意志統一して、勝って次に繋げていきたいです」と続けた言葉に力がこもる。個人的にも本当に頑張ってほしいと思いながら、開幕戦での活躍を祈りつつ、握手を交わして去っていく背中を見送った。
4月1日。神村学園高をホームに迎えた開幕戦。メンバー表に書き込まれた鳥栖U-18の18人の中に、北島の名前はなかった。
「サニックスが終わった週の練習でケガしました。同じ場所ですね。右ヒザの前十字靭帯の断裂です。同じ感覚はしたんですけど、1回目よりは慣れもあって、『あまり大きなケガじゃないんじゃないか』とは思っていたんですけど、結果的に前十字の断裂だと診断されたので、それはかなりショックでした。もう何も考えられなかったですね。『これからどうなるんだろう……』という不安が一番大きかったです」。
ずっと北島に寄り添ってきた両親は、診断の結果を聞かされた直後に、息子へこう言葉を掛けたという。
「自分はもう号泣して何も話せなかったんですけど、親からは『自分で決めなさい』と。『サッカーを続けるか続けないかも全部任せるから、続けるならそれをサポートするし、続けなくてもそっちの道をサポートするから』と言われたので、『今後の人生は僕が決めるしかないな』と思いました」。
2度目の前十字靭帯断裂を告げられた日の夜。北島は寮に3年生だけを集めて、思いの丈を口にした。
「2週間後にプレミアリーグの開幕が控えていて、自分のことでチームの士気が下がるのは嫌だなと思ったので、ショックでしたけどみんなを集めて話しました。そこで『オレも頑張るから、これから始まるプレミアもみんなで頑張っていこう』と伝えたんです。みんなも泣いていましたし、みんなが自分に寄り添ってくれていると感じられたので、『これからも頑張ろう』と思いました」。
5月。佐賀市健康運動センターを訪ねた。プレミアリーグのホームゲーム。まだ右足を引きずりながら歩いていた北島は、それでも後輩たちと楽しそうに試合の準備に取り掛かっていた。水を運び、用具を準備し、ピッチへ向かうスタメンの選手たちをハイタッチで送り出す。
その姿勢は9月に再びホームゲームを取材した時も、変わっていなかった。ピッチに水を撒くホースの設置の仕方がわからず、いろいろな方法を試しては、後輩たちと笑い合う。ボールパーソンをしながら、後輩たちと気付いたことを話し合う。そこには2度目の大ケガを抱えている“陰”なんて、微塵も見えなかった。
「自分もそれは意識していて、今はチーム状況が良くない中で、みんながどういう心境で戦っているかということはわからないですけど、僕自身は『チームでやっていくしかないな』という方向に意識が向いているので、そこは『自分も含めて明るくやっていかないと、今後も負け続けてしまうかもしれないな』と、チーム状況を変えていきたいと思っているところですね」。
7試合勝利のなかった鳥栖U-18は、名古屋グランパスU-18に2-0で競り勝って、4か月ぶりの白星を手にする。チームメイトたちと久々の歓喜を共有する北島の笑顔には、やはり少しの曇りもなかったように思う。
「トップチームの強化部の方と田中(智宗)監督がいて、保護者と自分で面談があって、そこで昇格を伝えられました。これからトップチームの一員としてやっていかないといけないという自覚もありましたけど、素直に嬉しかったですね。その部分が一番大きかったです」。ほぼ1年半近く公式戦に出場していない選手のトップチーム昇格は異例とも言えるかもしれないが、それだけクラブが彼に期待していることの証左だろう。
「プロはユースと違ってさらにレベルが高くなりますし、そこで自分に何ができて、何ができないかを明確にできれば、自分の力も通用するかなと思っているので、ミスしてもチャレンジし続けていくしかないなと。ヒザの不安はありますけど、もうそこは捨ててやっていこうかなと思っています」。不安はある。でも、それ以上に確たる自信もある。
それに今の自分には“ケガをした”という絶対的な経験が備わっている。もちろんケガをしないに越したことはなかったかもしれないけれど、良い意味でそれまでの自分とは明らかに変わったところだって、決して少なくない。
「自分はケガしたことを誇りに思うというか、それぐらいに思っていかないと今後はやっていけないかなと考えているので、『ケガして良かったな』と思えるぐらい成長したいんです。今もチームにケガ人が多くて、2年生も結構長くケガが続いているヤツがいるんですけど、そういうヤツらには以前より自分が寄り添えているのかなと思いますね」。ピッチにいても、いなくても、北島の存在は今の鳥栖U-18にとって絶対に欠かせない。
改めて、来シーズンから身を投じるプロの世界へ想いを馳せる。
「鳥栖でタイトル獲得に貢献したいです。自分が試合に出て、チームにタイトルをもたらせるような選手になりたいですね。自分は怖いもの知らずなので、どんな状況でも突っ込んでいきますし、球際にも強く行きますし、サイドを駆け上がってクロスも上げられますし、一番は“戦えるプレーヤー”だということを鳥栖のサポーターの皆さんには伝えたいです」。
その左足には、多くの人の夢が乗せられている。耐えがたい絶望と、自分を支えてくれる周囲への感謝を同時に味わった唯一無二の経験を携えて、北島は輝く未来へと繋がる扉の前にいま、力強く立ったのだ。
■執筆者紹介:
土屋雅史
「群馬県立高崎高3年時にはインターハイで全国ベスト8に入り、大会優秀選手に選出。著書に『蹴球ヒストリア: 「サッカーに魅入られた同志たち」の幸せな来歴』(footballista)。」
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Source: 大学高校サッカー
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